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『でも、ふりかえれば甘ったるく』をふりかえれば甘ったるく? ー生湯葉シホ

#4 水餃子

2018年3月、カメラマン・芸術家・ライター・編集・浪人生など、さまざまなバックボーンをもつ女性10名によるエッセイ・随筆集『でも、ふりかえれば甘ったるく』が、CGプロダクション「シネボーイ」の出版レーベル「PAPER PAPER」から発売された。20代を中心とする著者9名とイラストレーター1名が、それぞれの「幸せ」について自分らしく想いを綴る。彼女たちのこれまでとこれからに紡ぎ出される、それぞれかたちも大きさも肌触りもちがう「幸せ」。読んだらきっと、自らの日常にある小さな「幸せ」に気づいてにこやかになる、そんな1冊だ。

今回BAUSでは、『でも、ふりかえれば甘ったるく』のスピンアウト企画として、著者や制作関係者、ゲストを迎え、リレーコラムをお届けする。

「水餃子って覚えてる?」

居酒屋のカウンター席で、隣に座ったRちゃんが言った。彼女のもうひとつ隣に座ったMちゃんが「水餃子?」と聞き返すのと、私がそれを思い出すのはほぼ同時だった。「水餃子!」と叫んで、数秒後に爆笑した。

 

2年前の春、社会人1年目で始めたライターのアルバイトを辞めると決め、社長に辞意を伝えたばかりのその頃、私はボロボロだった。仕事も原因だったが、それ以上に大きかったのは、当時付き合っていた彼氏との共依存的な関係だ。

彼は早朝でも夜中でも構わず電話をかけてきて、私が出られないと「もう無理」「死ぬかも」とLINEをしてくるような人だった。それに気づかず連絡を数時間放置してしまうと、決まって強烈な言葉で罵倒される。彼はその頃精神を患って通院もしていたから、これも症状の一種なのだと思ってじっと耐えた。

精神的に不安定な相手と付き合って、自分まで引きずられるように病んでいった人はたくさん知っている。だから私は、極力明るくいようと思った。
ある夜、RちゃんとMちゃんと新宿の塚田農場で飲んでいたら、彼からLINEがきた。通知が止まらず、携帯は震え続ける。慣れっこになっていた私は「ちょっとごめんね」と言って返信を打っては、またふたりとの会話に参加した。ちょっと話す、通知、即返信、通知、即返信、通知、ちょっと話す、通知……。

それを見ていたRちゃんたちは、怯えた。当然のリアクションだ。人の携帯が2時間近く鳴り止まなかったら超怖い。けれど私はそのときすでに狂い始めていたので、なにが怖いのかわからなかった。

「大丈夫?」とMちゃんが言った。大学の同級生だったふたりとは、卒業してからも時どき集まってはお酒を飲んだり、花見をしたり、カラオケのシアタールームでジャニーズのDVDを見たりする仲だった。
Mちゃんはいつものように穏やかな、けれどはっきりとした口調で、「ちょっと普通じゃないよね、連絡の頻度」と言った。私が「やばいよね」と笑ったとき、頼んでいた水餃子入りの鍋がテーブルに運ばれてきた。

「本当にやばくなったら、『水餃子』って打ってよ」
Rちゃんが小皿に鍋をよそいながらそう言った。

「水餃子?」
「もしシホちゃんが彼氏と喧嘩とかして、これはほんとにやばいかも、でも怖くて警察は呼べないみたいな状況になったら、ひと言でいいから、『水餃子』って3人のグループLINEに打って」

Rちゃんの飄々とした言葉に、Mちゃんと私は笑った。笑いながらも、みんなどこかにちょっとだけ覚悟みたいなものがあった。それほど、たぶん当時の私の状況はふつうではなかった。なにかがあったときの合言葉を決めなくてはいけないくらい、それをただの冗談では受け止められないくらい、事態は逼迫していた。
“やばそう”な空気だけは察知して、私も真剣な顔で、「わかった。絶対覚えとく、水餃子」と言った。

 

結論から言うと、私は水餃子のことを忘れていた。
さまざまな人たちに「やめろ」「絶対に別れろ」「君は君の人生を生きろ」と言われ続けて正気に戻り、時間はかかったが、彼に別れようと言った。最初こそ「お前は俺から離れるなんて絶対に無理だ」と抵抗していた彼だったが、それでも私の態度が変わらないことに気づくと、あっさりと「じゃあもうお前とは他人だ」と身を引いた。
最初から私たちは他人だったのに、この人はなにを言っているんだろう、と思った。

転職し、編集者として働き始め、また文章も書くようになったら、忙しくなった。毎日深夜まで携帯をチェックし続けていた日々から解放され、平気で携帯を忘れて会社に出かけてしまうような人と付き合うようになったら、自然と「水餃子」のことは忘れてもよくなってしまった。

 

『でも、ふりかえれば甘ったるく』の出版が決まり、新居のソファに寝転がりながら原稿を書いていると、さまざまなことが思い出された。しかし、そのほぼすべてが好きなバンドや大事な友人、いま好きな人、飼っている亀にまつわることで、どん底だった2年前のことは、走馬灯のような記憶の中でほんの一瞬限りのシーンになっていた。

 

水餃子って覚えてる? とRちゃんに言われて、思い出したMちゃんと一緒にアハハハ! と笑った。ちょっと迷惑なんじゃないかというくらいの大声で。
「あれを打つ機会がなくてほんとによかったよねえ」とRちゃんとMちゃんが嬉しそうに言うので、泣いてしまいそうになった。下を向いたらふたりがくれた結婚祝いの紙袋があるのが泣きそうな気分に拍車をかけ、ぐっとお腹の下あたりに力を入れた。

日本酒を飲みながら「式は挙げないんだよね?」「どうしてもあのハッピーな空気が苦手で、挙げないつもりなんだよね」と話していたら、店のBGMが急に切り替わった。
カエラの「Butterfly」だ。
あっ、と思ってふたりを見ると、RちゃんとMちゃんはちょっと気まずそうな顔をした。その後ろから、陽気な店員が「Happy Wedding シホちゃん」と書かれたデザートプレートを持ってニコニコと近づいてくる。

 

帰りのエレベーターで、Mちゃんに「ほんとごめん」と言われた。Rちゃんは、「トイレ行ったら店員さんが『お友達ご結婚されたんですよね? デザートを用意します!』ってノリノリで言うから断れなくて」と、心底申し訳なさそうな顔で言う。

お店で誕生日や記念日を音楽つきで祝われるのは恥ずかしくていやだ、とずっと思っていた。けれど、そのときばかりは嬉しかった。
店員に撮ってもらった写真をいま見返すと、発売されたばかりの『でもふり』を持ったMちゃんとRちゃんの隣で、ハッピーそのものの顔をしたやつがピースサインで写っている。

PROFILE

『でも、ふりかえれば甘ったるく』

カメラマン、芸術家、ライター、編集、浪人生等様々なバックボーンを持つ女性10名のみで制作したオムニバス集。悩みながら、もがきながら、噛み締めながら「今」を生きる。女性9人が自分らしく想いを綴る、それぞれの「幸せ」とは。彼女たちの「これまで」と「これから」をまとめたエッセイ・随筆集。
全国の書店、各種通販サイトにて発売中。

【目次(著者 / タイトル)】
01. 伊藤 紺 / ファミレスのボタン長押しするように甘く
02. 生湯葉 シホ / 永遠には続かない
03. こいぬま めぐみ / 検索結果は見つかりませんでした
04. いつか 床子 / 幸せでない話
05. mao nakazawa / 私の庭
06. 菅原 沙妃 / ここにいていいよ
07. 西平 麻依 / 大人になるのは、きっとそれから
08. 渡邉 ひろ子 / 夜の散歩から
09. エヒラ ナナエ / 愛すべき孤独に
10. ery / カバーデザイン

【Credit】
発行元:株式会社シネボーイ / PAPER PAPER
発売元:日販アイ・ピー・エス株式会社

Produce:西川 タイジ(CINEBOY inc. / PAPER PAPER)
Book Design:近成 カズキ(CINEBOY inc. / PAPER PAPER)

PROFILE

生湯葉シホ

1992年生まれ、ライター。飼っている亀が19歳になった。

トップ挿絵・エヒラナナエ 文・生湯葉シホ 編集・上野なつみ

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