とある広告クリエイターがいる。国内外の多くの広告賞を獲得する数々のクリエイティブをプロデュース・ディレクションしてきたプロデューサーである。そして彼は言う「広告プロデューサーというスキルは広告以外の領域にも適用できる。広告プロデューサーの社会的認知を向上させたい」と。自らの名刺に「Craft Director」という肩書きをプロデューサーと併記し、立ち上げたエグゼキューションカンパニー米はその挑戦の形である。これまでの経歴からくる広告プロデューサーの価値・可能性は何かという問いについて、新会社立ち上げ直後の純度の高い思いをインタビューする。
意図せぬプロデューサーとしての道
ーー多くの広告賞も獲得し、「プロデューサー ヤマナカユウスケ」という認知をされていると思いますが、これまでの経歴を教えて下さい。
キャリアのスタートはグラフィックデザイナーで、その後プランナーやインタラクティブディレクターも経て、現在のプロデューサーを中心とした動き方になりました。
漠然と何かをつくる職に就きたかったのですが、今みたいにインターネットですぐ答えに行きつけなかったので、僕は絵を描くのが好きだなーっていう思いから、まずはデザイナーとかグラフィックデザイナーを目指しました。
ーーそこからどうやってプランナーに?
デザイナーとして働いていたのですが、アイディアを考えることも好きだったので、企画に対しても「もっとこうしたら」とか「俺だったらこう考えます」っていうことを今考えると拙いアイディアなのですが仕事中に言い続けてたんです。その結果、おもしろい考え方しているからプランナーやってみたら?って、仕事を振られて。
当時所属していた会社は直でクライアントさんとお仕事していたので、映像もやるしデジタルもやるしグラフィックもやるし、なんなら雑誌の編集もしてました。とにかく企画と制作周りに携わっていました。
ーープロデューサーには何がきっかけで?
プランナーの仕事にも少しずつ慣れてきた頃、漠然とした不安があって他の人にできない武器をつくらなきゃなと思うようになりました。当時はデジタルが本格的に盛り上がり始めた頃。デジタルに可能性を感じ、デジタルに強い会社でプランナー職を募集してたAID-DCC(AID-DCC Inc. 以下、AID)に転職しました。ですが、いざAIDのメンバーに紹介されるタイミングで渡された名刺にアシスタントプロデューサーって書いてあって(笑)。
実は僕の中ではプロデューサー=営業の人って言う印象で、結構アレルギーがあったんです。右から左に仕事を受け流す感じがして、クリエイティブにどう関与しているのかが分からなくて。モノをつくるところにいたいのになあ… って思ったのを覚えています。
ーー随分衝撃的なプロデューサーとしてのスタートですね(笑)。
でも、実際やってみると、AIDのプロデューサーが僕の想像していたものとは全然違ってたんです。仕事をつくるところから制作のディレクションまで担当するスタイルで。これはちょっと僕の想像していたものと少し違うぞ、と。
ーー具体的に、AIDのプロデューサーはどんな動き方をしてたんですか?
もちろん営業的な側面もあるんですが、もっと大事なのはクライアントさんと目的を共有し、同じ目線でディスカッションしながら、課題を解決するために一緒に企画する人。とは言いつつも、プランナーほど企画に専念できるわけではなく、社内だったり外部のパートナーさんとかをまとめるチームビルドもしますし、制作に移るとアウトプットのクオリティを上げるためになんでもやる。営業面だけじゃなくて企画の質やアウトプットの管理もプロデューサーがやるというスタイルに触れて、自分の中でのプロデューサー像が変わっていきました。
ーー山中さんが希望した「つくる」にコミットした役割ですね。
単純に発言権があるなと思いました。それまで僕が知っていたプロデューサーっていうのはクリエイティブに対しての発言はほとんどしない印象だったんです。
映像のみイベントのみという領域が限定されたプロデューサーになってくると、インナーでクリエイティブについて発言することはわかっているのですがクライアントさんや広告代理店さんたちと、企画段階からクリエイティブを追求する人は少ないなぁと。自分だったらどういうプロデューサーになれるのか。いま世の中でどんなプロデューサーが求められるんだろうな、と自問自答しながら今に至るというのがこれまでの経歴ですね。
プロデューサーとしての生存戦略
ーー山中さんのプロデューサーとしての強みはなんですか?
端的にいうと、デジタル領域を中心にしたクラフトとエグゼキューションです。
ーーというと?
僕が今までの経験で培ってきたものは、どんな形のオーダーでも、最適なカタチでアウトプットすることなんですね、つまり、質を上げながら最後まで実行して納品するっていうところにこだわりと強みを持ってやってきたので、その二つが大事なキーワードになってきています。もちろんそれには企画もチームビルディングの要素も入っています。
拠り所を見定めて強度のある企画をつくるためのサポートもしますし、その上で仕上げていくための職人的な視点で質を上げるのもコミットしていく、そして何よりコミュニケーションスピードの速いチーム作りをし、実現まで推進する、それが僕の考えるプロデューサー像です。意思のあるエグゼキューションというか、クライアントさんの課題にコミットして実行するってところですかね。
ーー理想的な関わり方に感じますが、一方プロデューサーという肩書きを超えたコミットメントにも感じます。
広告業界は、肩書きで見がちだと思うんですけど、個人的にはプロデューサー、プランナー、ディレクターとか、特定の肩書きに思い入れはありませんね。それこそ予算が少なければ、他領域の仕事でも自分でやりたい気概もある。色々手をつけたいっていう訳じゃなくて、必要なことでできることであれば、周りを説得して幅広くチャレンジした方が面白いと思ってます。
ーー分業、先鋭化が進む業界の潮流の中だとそう簡単ではないように思うのですが、山中さんがそういうスタイルになったのには何かきっかけはありますか?
そうなったのはやっぱりAIDでデジタルが盛り上がっている時期にクリエイティブワークできた経験が大きいと思います。当時はクライアントさんも急に盛り上がったデジタル領域に対してワークフローや方法論が固まっていなく、自由度の高く、言ってしまえばファジーなオーダーをしていただくことが多くて。
時には、無茶振りだな…と思うこともあったのですが、否定せずに何でクライアントさんや広告代理店さんの担当者はそう思ったのか、やりたいことのベースにある課題だったり言語化されてない部分はなんだろうと目の前にあるオーダーの「拠り所」を探り続けました。
そういった背景があるので、映像でも、イベントでも、インスタレーションでも、拠り所を起点に考えられることはデジタルをその当時からやってる人の特徴ではあると思います。言葉にすると普通なんですけど、みんな意外とできないんですよ(笑)。オーダーされたものに対してこの中で最高のものどうやってつくるか、予算内でどれだけ良いものつくるかを考えてしまう。それはもちろん大切なんですけど、僕の存在意義は、もっと大きい視点で課題解決になっているのか問い直すこと。この企画がクライアントさんのためになるのか、ユーザーの人たちは熱狂するのか、買ってくれるのか、というところまで考え抜く。結局のところ、そのアウトプットでユーザーにアクションして欲しいわけじゃないですか。そこまで行かないといけない。その不確定な状態に対してどれだけ楽しく真剣に向き合ってアウトプットしてきたかっていうのが今の僕を作っていると思います。
ーー自ずとアウトプットの領域や担当する役割は限定されなくなると。
とはいえ、何かしらの血筋というか強みはないといけないとも思っています。なんでもできるからお願いしようってなるのって友達ワークとかそれぐらい。仕事として、企業の成長のサポートや企業の持っている課題を解決するためには明確な強みをもとに信用してもらわないといけないので。
ーーなるほど。そんな山中さんの中で良いプロジェクトってどんなものですか?
企画の段階からコミュニケーションスピードの速いチームが作れているか、職種を横断したチーム作りをできているかですね。僕が大事にしている考え方は「(デジタル+フィルム)× PR 」です。デジタル視点だけ、フィルム視点だけを作って終わりっていう時代ではなくなっている印象で、相互を足し算しつつ、PR視点と掛け算する、これを繰り返しながら思考する必要があると感じています。
最終的には社会やコミュニティなどから共感してもらいユーザーにアクションしてもらわなければならない、そのためにはインターネット的な文脈や社会の文脈を把握することを意識しています。そのためには企画の早い段階からPRの視点がとても大事で、掛け算できる環境を早くつくることを心がけています。
それを実現するためには、やっぱり早い段階から企画全体を俯瞰したチームビルドできているかが重要。どうしても進められる箇所からプロジェクトを進行したくなってしまうんですが、そこは我慢してチームづくりを整える。そうすることで最終的にコミュニケーションスピードの速いチームがつくれ、クラフトを高める時間も多く取れる。その結果、クライアントさんに評価いただいたり、社会にインパクトを残せたり、その結果アワードなどにも繋がっていったりするかなと感じます。
ーーそういう観点で印象的なプロジェクトはありますか?
体現できたのではないかなと感じているのは、ヤマハさんの“I’m a HERO Program”ですね。コロンビアのメデジン地区のスラム街に住む子どもたちに楽器と教育プログラムを提供して、子供達それぞれに一つの可能性を示すプロジェクトです。半年間の練習の成果として、コロンビアで一番人気のサッカーチームの試合で選手とともにエスコートキッズとしてピッチへ上がり、国家演奏するというものでした。
https://qetic.jp/interview/im-a-hero-feature/303314/
広告プロダクションにいてプロデューサーやプランナー、クリエイティブ・ディレクターって名乗ってた僕が、どこまでクライアントさんのブランディングに向き合ってアウトプットして結果出せるかに真剣に向き合った集大成がこのお仕事でした。
このプロジェクトを通して感じることがありました。実はこれまではプロジェクトやお客さんによって自分の肩書きを意図的に変えていたんです。やっぱり人は肩書きのラベルで分けて理解したがるので、そうしていたのですが、全部に携わるという僕のスタンスをちゃんと態度として表明することが必要だと確信できたんです。それで“Craft Director”という肩書きを新たにつくることにしました。
広告プロデューサーとしての可能性への挑戦
ーーこの新しい肩書きはどんな思いから作ったのですか?
“Craft”はものづくりに対する職人的な側面で、課題から生まれる広告におけるアウトプットの質を上げることに向き合うことを表しています。そのためにいわば領域を横断していく動き方は日本の広告業界のプロデューサー、ディレクターという職務領域には収まりづらいので、端的に伝わる今までにない肩書きとしてCraft Directorという肩書きに行き着きました。
同時に、企業の成長をサポートするためにはそれを形にして実現しないと意味がない。ただ良いもの作ってはい終わりでも、逆に何でもいいから実現するでも嫌で、両立させた状態で進めないといけない。そこに対して、みなさんがイメージするビジネス的なスキルと実現力、推進力という意味のプロデューサーを併記しています。
ーー新しい肩書きを旗印にチームを立ち上げ、新しいプロデュースのあり方に挑戦すると伺いました。
僕の本気、覚悟の表明でもあります。今ってフリーランスの方が時代の気分には合っている気もするし、会社にするメリットってあんまりなくない?っていう空気があるじゃないですか。でも、それでいいのかって言うと僕の中での本気とは違っていて。
働き始めた時からの考え方でもあるんですけど、仕事ってどうせ大変じゃないですか?だったら同じ釜の飯を食える仲間たちとワイワイして、なおかつ家族ができたら一緒にキャンプに行けちゃうような仲間をつくるためのゲームというか、そういうのがしたかったんですよね。ただビジネスだけの関係性ってちょっと寂しいなと思っていて。
そうすると自分だけがいいというのは社会に対してちょっと嘘になるかなと思いまして。「米」っていうプラットフォームを作って、そこに関わってくれる人達の責任も持った状態で社会に対してぶつかっていきたいんです。ユニークなモノやコトをつくっていきたいですが、そのためにはビジネス面での責任も背負った上でやりたいなと思ったんです。誰に対しても本気でぶつかりたいしクライアントさんに対しても本気でぶつかりたい、そのためには自分も本気じゃないと嘘っぽいというか。
ーーどんなチームにしていきたいですか?
職人的な質を追い求める姿勢と企画を最適なカタチで実現するというところに中心があるので、ものづくりが好きな人っていうのが大前提。あと、僕の中ではプロデューサー、ディレクター、プランナーを分けて考えていなくて、それを縦割りにしてる時点で会話がうまくいかなくなるので、そのマインドが共有できている人がいいですね。仕事ごとに役割を変えればいい、でも根底はそんなマインドを持っていてほしいなと。
そういう姿勢でプロジェクトをともにするパートナーさんやクライアントさんに真正面からぶつかっていける米という集団をつくりたいです。それはアシスタントや制作の人たちも関係なく、越境する姿勢の人に集まってきていただきたいです。
それは金銭面でも同じで、クリエイターさんたちにきちんとした対価をお支払いすることも起業したモチベーションでもあるので、そういう意味では三位一体な動きができないとクリエイターさんに対してwin-winな関係になれないんじゃないかなと思ってます。そういう目線でものを見れる人じゃないと嫌ですね。
まずはチームのメインドメインでもあるデジタル・フィルム、PRパーソンを探したいと考えています。独り立ちしていないアシスタントや制作の人たちも含んでます。得意領域を大事にしつつ越境マインドのある人たちが集まってきてくれると最高です。
そこでしっかり会社の土台を固めたら、数年内に広告以外の領域・業態にチャレンジしていきたいですね。そのための準備もすでに進めています。僕が培ってきた「広告をつくる」ってスキルは、違う領域のものづくりに転用できるって確信があるので。だからアパレルとか漫画とかはもちろん、ホテルや動物園をつくってます、みたいな人たちにも集まってもらって、みんなで真剣に遊んで、面白いものをつくって、ビジネスしていける集団にしていきたいですね。
Recruit Information
・フィルムプロデューサー
・デジタルプロデューサー
・PRプランナー
・プロジェクトマネージャー
・プロダクションマネージャー
・各職域プランナー
ご応募については下記よりWebサイトよりご確認ください。
株式会社 米 Webサイト:https://komeinc.com/
PROFILE
山中 雄介
数社にてグラフィックデザイナー、ディレクター、プランナーとして従事。 2012年にデジタルクリエイティブを強みにしたAID-DCC Inc.に入社。 デジタルを軸足にフィルム、プロモーションなどを含めたコミュニケーション領域にて統合的なプロデュース/プランニング/ディレクションを担当。2019年6月に株式会社米を設立。カンヌライオンズ2015,2016年ゴールド受賞を含む5年連続受賞・入賞中、Adfest2017,2018年GRANDE、SPIKES ASIA金賞、ACC5年連続受賞、文化庁メディア芸術祭受賞、D &AD 受賞など国内外のアワードにて受賞歴多数。
<CREDIT>
Interviewee:Yusuke Yamanaka(kome inc)
Producer / Editor / Interviewer:Yuki Yoshida (BAUS)
Writer:Kojiro Ichimura (CEKAI)
Interviewer:Sera Nakata (C)
Photographer:Hide Watanabe